一、1998年・インド:「昭和の家族」と、タージ・マハルの問い
1998年、インディラ・ガンディー国際空港のタラップを降り、足を踏み入れた瞬間のことだ。
この滞在で最も忘れがたいのは、友人Nくんの、さらに友人であるインド人のご家庭にお世話になった時のことだ。お母さんは教師だったがちょうどストライキの真っ最中で自宅におられ、お父さんはインド国鉄のシグナルオペレーター(信号係)。どこか昭和初期の日本を思わせるような、厳格で一本筋の通った家長を中心とする家族構造だった。
ある時、私が「タージ・マハルを見に行きたい」と口にすると、お父さんは静かに「お前は、あの歴史を知っているのか?」と問いかけてきた。
その緊張が走った瞬間、末の息子が「シャージヤハンがー」と言いかけ、慌てて兄姉たちに止められていた。家族の中に脈々と流れる父親への敬意と規律の高さが垣間見えた、絶妙な一幕だった。私がシャージヤハンと愛妃ムムターズ・マハルの歴史や愛について語ると、お父さんは満足そうに頷き、家族全員が「この日本の客人は信頼できる」と認めてくれた空気が広がった。
二、夜道のサモサと、オロオロするNくん
そのご自宅に数日滞在している間に少しニューデリーへ出かけた日にも、ちょっとした騒動があった。途中の駅で列車を乗り換える際、手違いでひとつ前の駅で私一人だけが取り残されてしまったのだ(終電)。
しかし、私は焦ることもなく「まあ、どこへ行ってもなんとかなるだろう」と夜道を一人で歩き始めた。ファリダバドとニュータウンの間、あの埃っぽく熱気の漂う街並みに並ぶ路上屋台で買ったのが、重油のように黒くドロリとした油で揚げられていたサモサ(だったかもしれない何か)だ。
レストランで出るようなジャガイモがゴロゴロ入った重いパンジャーブ風サモサとは違い、それは春巻きの皮のような薄い生地(パティ)に、ひよこ豆と鶏の挽肉、そしてスパイスの旨味をたっぷり吸った春雨がぎっしり詰まった高密度のローカルフードだった。
幾つか頼もうとした私に、屋台のインド人が「2つで充分だ」と止めてきたのを覚えている。当時は半信半疑だったが、後に日本に帰ってから自分で再現してみて納得した。挽肉・ひよこ豆・春雨という炭水化物とタンパク質の高圧縮パケットに、油を吸った春雨と胃の中で膨らむひよこ豆。あのアドバイスは、経験則に基づく親切心だったのだ。
正体不明の怪しい食べ物だったが、空腹に任せてかぶりついたあの重油の風味とスパイスの強烈な味は、まさにインドの洗礼の前奏曲だった。
一方、語学も土地勘もあるNくんは、一人取り残された私を気遣い「みたさんは大丈夫だろうか」とオロオロしていたという。夜遅く、サモサを腹に収めて自力で無事に友人宅へと到着した私を出迎えてくれた時、あの末の息子が「Nさんがすごーく心配してオロオロしてたんだ!」とバラしてしまった。その時のNくんの、恥ずかしそうであり、同時に心底安心したような嬉しそうな表情を思い出すと、今でもふっと口元が緩んでしまう。
どこにいても飄々と「重油のような油のサモサ」を食って乗り切ってしまう私と、人一倍心配性で優しいNくん。あの夜の安堵の笑顔は、旅の何よりの土産話だ。
三、ラッシー屋の割り込みと、時空を超えた奇跡
ソロ活動中、ニューデリー駅前のラッシー屋でのことだ。
当時のインドでは、街中にどこか露骨な男性優位の風潮が残っていた。私が列に並んでいると、店主が前にいる一人の女性をあからさまに後回しにし、私に先に商品を渡そうとしてきた。横柄な順番抜かしのような空気が面白くなかった私は、「Hey! This girl, first!(おい、このお姉さんが先だろ!)」と声をかけた。
だが、店主は首を横に振るばかりで、どうしても客である私を優先しようとする。申し訳なさそうにしている彼女に「先にどうぞ」と促すと、彼女の口から意外な言葉が返ってきた。
「大丈夫です、慣れてますから」
流暢な日本語だった。地元インドの女性だと思って助け船を出したつもりが、まさかの日本人女性だったのだ。面食らいつつも、「ありゃ、日本人の方でしたか」などとやり取りをしているうちに、根負けした店主がようやく彼女にラッシーを差し出した。混雑する駅前の、ほんのわずかな一幕である。
しかし、この話には奇妙な後日談(あるいは奇跡のような符合)がある。
ずっと後になってから知ったのだが、息子が学校でお世話になった担任の先生から、昔インドを旅した際の話を聞く機会があった。その内容が、あのニューデリー駅前のラッシー屋で私が出会った日本人女性のエピソードと、あまりにも寸分違わず重なっていたのだ。
あの時、熱気と雑踏のニューデリーで何気なく声をかけた女性が、巡り巡って将来の息子の担任だったかもしれない——。
人生のあちこちに転がっている、思いもよらない奇妙な繋がり。1998年のインドの旅は、そんな時空を超えた伏線まで残していくことになったのだった。
