はじめに:司馬遼太郎と「大村益次郎」の生誕地へ
昭和50年代、世間は司馬遼太郎の『坂の上の雲』で持ち切りだった。しかし、私にはあの作品はどうにも刺さらなかった。(国家や組織の描き方に、どうにも個人的な違和感が拭えなかったのだ。このあたりの違和感については、また別の機会に整理してみたい)。そんな私が珍しく引き込まれたのが『花神』だった。大村益次郎(村田蔵六)。NHKの大河ドラマで、本妻と愛妾(イネ)に挟まれた修羅場のなか、大村が「切られるのは(手術で切り開くより)痛いもんですね」と飄々とトボけてみせるシーンが深く記憶に残っている。今こんなことを言ったら各所からボロクソに叩かれそうだが、「男とはこうありたいものだ」とどこか憧れを抱いた(もっとも、私自身は浮気など一切しないのだが)。当時は靖国神社に彼の銅像があることすら知らなかったが、文庫本のページを繰るうちに、彼が生まれた長州の田園風景をこの目で見たくてたまらなくなった。「どんな田舎の出身であれ、学ぶ機会というフックさえ掴めば、社会全体に影響を与える場所まで登り詰めることができるのだ」——当時は上手く言語化できなかったが、その真実を自分の皮膚感覚で確かめたかったのだ。(ついでに言えば、どれほど登り詰めても人間の中身など変わりはしないし、そんじょそこらの人と見分けなどつかないということも、大人になった今はよく分かっている。意外とみんな、この事実に気づいていないのだが)。当時、親交のあったあだ名「幻想」の実家が山口の近くにあったこともあり、私はそこを出発点として山口へと降り立った。田んぼが広がる字(あざ)の風景のなか、私は村田蔵六の原風景をその目に焼き付けた。そこから始まったのが、山口から京都までの「ほぼ徒歩」の長距離旅行だ。
一、広島の夜の歌声と、時空の奇妙な結び目
旅の途中、間違いなく電車にも乗ったはずだが、記憶の断片を繋ぎ合わせるとかなりの距離を歩いている。時系列は定かではないが、広島の街には自分の足で入ったはずだ。深夜、平和通り側から歩いて平和記念公園に入り、原爆ドームを見上げようとした時のこと。夜のしじまを切り裂くように、大声でアニメソングを熱唱する男女数名の集団がいた。声をかけたのか、それとも向こうから声をかけられたのか——気づけば私は彼ら輪に入り、当時まだ「オタク」という言葉が一般的出ない時代に、知っている数曲のアニソンを夜空に向かって一緒に歌っていた。不思議な連帯感だった。この夜の出来事には、奇妙な後日談がある(不思議と私の人生で複数回発生するが)。歌っていた集団の中にいた一人(ここではK氏とする)と、なんと数年後、全く別の職場で同僚として再会することになるのだ。さらにK氏は、のちに私の人生において私を率直に諌めてくれる数少ないかけがえのない親友「まついくん」に恐ろしいほど雰囲気が似ていた(この夜の時点では、私はまだまついくんと出会ってすらいない)。山口から五日市あたりまでは、旅仲間の「Da」が一緒にいた記憶がある。金を節約したくてカリカリしている私を余所に、彼が美味そうに「穴子飯弁当」を食べていた格差の記憶が鮮明に残っていたからだ。広島で原爆ドームを見たあと、国道を目指す際に県庁舎の位置を見つけてくれたのも「Da」だった。彼とは京都タワー下のパチンコ屋でも一緒だった記憶があるが、携帯電話もない時代、途中で別れたはずの私たちがどうやって再び合流したのか、今となっては謎のままだ。(「Da」はその後失踪してしまった。2007年に仕事て彼の実家付近に行った際に、ついでに彼の実家を訪ねた際、店をやっていた彼のお父さんから『あいつとは連絡がつかない』と怪訝な顔をされ、何か深い事情があったのだと察し、それ以来近づいていない)。
二、岡山の鶏と、尼崎の日雇い現場
広島を後にし、さらに東へ歩を進める。この旅で食の記憶として強烈に残っているのが「鶏肉の味」だ。広島を歩いている頃から「この地域の鶏は美味いな」と感じていたのだが、岡山の港町で食べた一杯のうどんに入っていた鶏肉(かしわ)を口にした瞬間、その確信は決定的なものになった。重厚な出汁のなかで、鶏そのものの旨味が際立っている。のちに私が「西の鶏文化」の深さに目覚める原点となった体験だ。その旨い鶏が、ぽちゃんと無造作に入っているのだ。さらに東へ進み、兵庫県に入った。旅費が底をつきかけた私は、阪神尼崎あたりで日雇いの労働に身を投じた。身元など一切問われない、まさに昭和の泥臭い労働現場だ。そこで荒っぽい汗を流して日銭を稼ぎ、なんとか旅を継続する資力を得た。尼崎からは、当時できたばかりだった「新快速」に乗り込んだ。戸惑ったのはその車内の光景だ。1両に複数の車掌や、切符切りを担当する女性スタッフが乗務しており、乗客の切符を次々と確認していく。見たこともない列車運行の仕組みとシステムに、若い私は強い衝撃と興味を覚えた。その後平成になってから新快速に乗ったら、普通の快速だった。アレは一体なんだったのだろう。
