一、血まみれの帰宅と、頭の電極
高校3年の当時、私の主な移動手段はロードレーサーだった。当時はまだ街で見かけることも珍しかった本格的な自転車で、ガソリン価格が高騰していた時期でもあり、バイク以上に重用していた。神奈川県内であれば、どこへでも軽々と走り回っていたものだ。そんなある日、私は「ちょっとトレーニングに行ってくる」と言い残して家を出た。そして次に家族の前に現れたとき、私は顔半分を血まみれにし、傷だらけになった姿で帰ってきたのだという。のちに薄っすらと思い出したのだが、どうやら走行中に転倒し、通りがかりの誰かにティッシュをもらって傷口に貼り付け、そのまま歩いて自力で帰宅したようだった。すぐさま病院へと担ぎ込まれた。病院での第一声から、私の発言はおかしかったらしい。半年前から3ヶ月も前の出来事を、まるで直近のニュースであるかのように大真面目に語り、「ヤバいな、来週〇〇があるのに……」などと焦っていたという。診察室では、頭にバネ状の針のような電極を何本も撚り合わせて刺され、オシロスコープのようなモニターに波形が映し出されていた。当時の私には医学の知識などなく、「なんだか大袈裟なことをされているな」と他人事のように眺めていた。そのまま数日間入院することになったのだが、じっとしていられない私は病院から数回の脱走を企てた(自宅に本をとりに行くゆくなど)。その際、怒り顔で注意役にやってきたのが、小中学校時代を一緒に過ごした同級生だった。彼女は立派な看護師(ナース)になっており、「一体何やってんのよ……」と心底呆れ果てた顔で私を嗜めたものだ。
二、「本物だー!」と、失われた1〜2週間
無事に退院し、学校へ登校したときのことだ。気心の知れた仲の良い連中が寄ってきて、そのうちの一人がニヤニヤしながらこう言った。「おい、俺が貸した2000円、覚えてるか?」記憶が飛んでいる私を試すような冗談だったのだろう。私が素直に「あぁ」と財布を出して札をだそうとすると、彼は目を丸くして叫んだ。「うわっ、本物だー!!」記憶を失った人間が、記憶を失う前の自分として目の前に立っている——仲間たちにとっても、それはまるで怪談かSFのような不気味で奇妙な体験だったに違いない。そこからコツコツと周囲の証言を拾い集め、記憶のピースをジグソーパズルのように嵌め込んでいったものの、事故前後を含む「1〜2週間分の記憶」だけは完全に空白のまま、二度と戻ってくることはなかった。当時は「守るべきもの」も「積み上げてきたキャリア」もない無知な高校生だったからこそ、記憶の一部が消えても何の恐怖も感じなかった。だが、もし今の自分が同じように記憶を失ったら……と思うと、大人にとって記憶が欠落することの恐ろしさが身にしみて理解できる(もっとも、私の性格上、今でもさほど怖がりはしないだろうが)。
三、「交代性記憶疾患」の謎と、50年目の再会
長年、私は自分のこの症状を「こうたいせいきおくしっかん」と聞き覚え、「後退性記憶疾患」という病名なのだろうと半世紀近く信じ込んできた。のちに気になって医学大辞典などで調べてみると、そんな病名は存在せず、「交代性記憶疾患」という響きからの誤解だったことが判明した。症状から察するに、頭部外傷のショックによる「逆行性健忘(記憶が過去へと遡って脱落する症状)」だったのだろう。説明するのも面倒なので、その後は「単なる怪我とショック」として生きてきた。今でも私の顔には、まるでボールペンで突いたような黒っぽい傷痕が残っている。20年ほど前までは、皮膚の奥から当時の砂利がひょっこり顔を出すことすらあった。顔の傷について人に尋ねられると、私はいつも鉄板の「笑い話」としてこの記憶喪失のネタを語ることにしている。そして、この話には誰も予想しなかった「半世紀越しの伏線回収」が存在する。あの登校初日、私に「2000円覚えてるか?」と問い、財布を出されて「本物だー!」と驚いていた友人のすぐ隣にいた人物——それが「M1氏」だ。高校時代の記憶の空白を象徴するその現場に居合わせたM1氏と、なんと2025年、私は職場で奇跡的な再会を果たすことになる。時空が大きく歪んだあの高校時代の事件から50年。過去と現在が再び交差する物語は、まだ終わっていなかったのだ。
